結婚希望者

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小生は独身者だが社会に出ていると、 いくら未婚者が多い時代だといっても、自分と同じ年で結婚している人もたくさんいる。
同年代(30〜35歳)で結婚している人の中で一番多く見受けられるのが若いうちに結婚した人だ。 すなわち就職してから数年での結婚。いわゆる恋愛結婚というやつだ。
次に多いのが30過ぎぐらいから婚活を初めて35ぐらいで結婚する。 お互いに条件を吟味して、そこそこの相手と結婚する。 恋愛結婚に対して、 こちらは妥協結婚とも言えよう。まだ結婚に至ってなくても婚活している 人間も多く、彼らも妥協結婚組と考えればかなりの数に登る。
少々レアなのが、独り者の自由な暮らしが好きでずっと結婚する気がなかったのに、40前後で結婚するタイプ。 人生の考え方が変わったということで変格結婚とでも名付けておこう。

今日は妥協結婚と変格結婚について書いてみたい。

妥協結婚

彼らを見ているとホトホト不思議なのである。
婚活パーティーに行くような人は「結婚すればセックスし放題」という童貞丸出しの思考の 人はおらず、風俗遊びもほどほどに経験した人が多い。したがって性欲解消を求めて 婚活に行くわけではない。
また、婚活に行くような人は社会的な地位も低いので「いい年して結婚してないと恥ずかしい」 とおもわれるような職場環境にもない。
かと言って大昔のように「結婚したほうが家賃も食費も安く上がる」みたいな時代ではないことも理解しているし 、女性受けがあまり良くない趣味(アニメ・ゲーム)を持っていたりする。 だから婚活に行くたびに収入欄に+100万円ほど多めに記入して、1番人気の女にアタックしては高収入に敗北し、 5番目ぐらいの女で妥協しようと思えば「専業主婦希望」でご破算というのを繰り返している。

なぜに彼らは婚活するのか。 彼らは一体何を求めて結婚を目指すのか。小生にはさっぱり分からなかったので数名に聞いてみたことがある。 すると帰ってくる言葉は皆同じ。「親を安心させたいから」
驚きである。 それが彼らの本心であるのかどうかは分からぬ。にしても驚きである。
彼らの言を信じるとすれば、彼らの結婚の主目的は「親の安心=親を満足させる」という事になる。 しかし考えても見給え。 35歳で結婚して家庭を守るとなると、30年ぐらいは大幅に趣味を制限し、月2万の小遣いで過ごし、 毎日300円の弁当を食い、満員電車に揺られ、きつい部署に移動させられても我慢して働き続けるのである。 ただ、親を安心させる為だけに!
たとえ一時的にでも熱望した女と結婚するのならまだしも、妥協した女の為にせっかくの休日を 下らない買い物に費やすのである。そして赤の他人の女房殿は当たり前の顔をして助手席に座っているのである。

「親を安心させるためだけに結婚するの? 後35年ぐらいは働かなきゃいけないのに?」と聞くと、彼らは答えるのである。
「親を安心させたいですからねぇ…」

変格結婚

このコラムを書くきっかけになった旧友の話しである。
彼はサラリーマン人生を送ってきたが、一種のアウトローへのあこがれが有り、結構思い切った転職などを 繰り返す人間で、自分自身でも「結婚はないね」といっていたのだが、 40歳手前になって「そろそろ結婚しようと思う」と言い出した。
どういう心境の変化か聞いてみたが、どうもはっきりしない。 「生活が安定したから結婚する気になったのか?」と聞いてみても「そういうのもあるかも知れないね 」といった塩梅である。
仕方が無いので飲み屋に行って自分から話し始めるのを待つと、小生の期待通りに饒舌に話してくれた。 曰く「結婚する奴って色々なことにあきちゃって結婚するってのがあると思うんだ。 「もう色んなこと経験しちゃったじゃん?  飲み歩いたり風俗行ったり…」

唖然とした。と同時に『なるほど…』とも思った。
つまりお金を払えば安心して遊べる範囲が、彼らにとっての世界なのだ。 金を払って安全にバカ騒ぎをするのが、色々やり尽くしたことになるのだ。 その世界で安全に遊び飽きたから、やったことがない結婚へ向かうということだ。 安全ではなくどうなるか分からない世界へ飛び出すのではなく、 多くの人がやっている『結婚』『子育て』…あくまで普通の世界の延長線へと向かうのだ。
なるほどな…と小生は思った。 世界の外に出ることは彼らにとって論外、ありえない選択なのだろう。


一応小生も聞いてみた。
「俺はもっと他にもやりたいことがあるけどね。 グランドキャニオン見たりバックパッカーやったり山で修行したりしたいなぁ」
「まぁ、そういうのもあるかもね…」
彼は『普通』の人なのだ。

バックパッカーもグランドキャニオンも、いく人も前例者がいて珍しいことでもないのだが、 そういう『少し外の世界』さえも論外の『普通』の人なのだ。

小生はすこし安心したことがある。
旧友の話を聞いて驚きはしたが「同胞を失った」などという心が一切芽生えなかったことである。
今までのネガティブ人生で学んだこと、すなわち人間は他人のことなど徹底的に知ったこっちゃない事。 そのくせ正義や恥や浪漫を語るということを、しっかり心と精神が覚えていてくれた。

結局、結婚を目指す人は『普通』を求めているのだと思う。 あくまで他人から『普通』と呼ばれるレベルでの生活,結婚,冒険,転職。 『普通』の生活をできる人は『普通』の暮らしを目指せばよいのだろう。
彼らが徹底して目指す『普通』。
人生の大半を使ってまで手に入れようとする『普通』。
挙げ句の果て離婚したり趣味を奪われたり自分の大半を奪われる事例が満ち溢れているのに 、手に入れたいと思う『普通』

いったい彼らの心は何処にあるのだろうか。彼らの自分は何処にあるのだろうか。 彼らの心の闇は、クソ人生で歪んだ小生の心よりも深いのかもしれない。



TOP    著作:ハゲおっさん 2013/01/18
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